校長BLOG

第15回校長BLOG

不条理との対決または父と暮らせば

みなさん、こんにちは。新型コロナウイルス感染症は少しずつ収束に向かうかの様相を示してきました。是非とも、このまま後戻りしないでほしいものです。ただし、願いは願いとして、実際の対応としてはまだまだ再流行への警戒は緩めるわけにはいきません。ワクチンが完成し普及するまでは、いざという時に備え、できるだけ3密自粛は続けていきましょう。オンライン授業も少しずつ慣れてきたのではないでしょうか。友人と会えずストレスも大きいことと思います。心配なことがあれば、担任の先生やスクールカウンセラーの先生へ遠慮なく相談してください。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことを真面目に書く」
劇作家井上ひさしの言葉です。彼は、戦争をはじめとする大いなる不条理と不幸に正面から向かい合い、庶民の目と感覚でそれを描き、観客と読者に自分の問題として深く考えさせ、しかし、観客や読み手をしかめ面にさせるのではなく微笑ませ時には哄笑させます。そして、彼の執筆態度はまじめで完全主義で、そのあまり、最後の最後まで最高を求めるため締め切りを守れないことが多く、劇の初日になったのに脚本ができていないで幕が開かなかったという逸話があり、自ら遅筆堂と称したぐらいです。

私が彼の作品の中で一番好きなのは、「父と暮らせば」という芝居です。放送劇として聞き、劇を見、戯曲を読みました。この芝居により、元気のないときには力づけられ、うれしいことがあったときには益々生きている喜びを感じます。

物語は太平洋戦争後の広島、まだ、人々の間で原子爆弾の傷跡が生々しく残っていた時代の話です。主人公は図書館に勤める若い女性、原爆で父や親友を亡くしています。自分だけが生き残ったことを申し訳なく思い、自分一人が幸せになってはいけないと思い込んでいます。親友の母親に、なぜ私の娘でなくあなたが生きているのかと言われ、お前は生きよという父自身の言葉に従ったからとはいえ父を見捨てて逃げたことに強い罪悪感を抱いています。そんな中で、大学に勤める青年に好意を寄せるようになり、青年も彼女を好いているのですが、自分の気持ちの整理がつかず幸せから逃げようとします。そんな時、死んだ父親が「恋の応援団長」として現れ、娘に希望を抱かせようとします。その過程で、娘の親友の死や父自身の死についての娘の凝り固まった思いをほぐしていきます。最後には、娘は、「おまいはわしによって生かされとる」、「人間のかなしかったことこと、たのしかったこと、それを伝えることがおまいのしごとじゃろうが」という言葉に救われ、青年と向かい合い生きていくことを決意します。そして娘の言葉、「おとうたん、ありがとうありました」。

原子爆弾が広島に投下され、娘の周囲の人々が亡くなったことに娘は一切責任がありません。親友の死にも、父親の死にも、なんら後ろめたさを感じる必要は無い。それらの悲劇は決して必然的なものではなく、残酷なまでの偶然であり不合理な不条理です。しかし、人は圧倒的な不条理にあうとそのことを客観視できず、時に他人のせいにし、時に自分自身を責めてしまいます。冷酷な言い方ですが、自分自身を責めることに逃げるとさえ言えるかもしれません。

しかし、不条理から逃げようとしても自分の気持ちから逃げることはできない。不条理には立ち向かうしかないのです。今現在の不条理には、勇気をもって、他者と協力して、辛くても理性が必要だと命ずることを淡々とやり抜くことが必要です。この話のように不条理が過去に起こったことなら、そのことを伝えること、二度と繰り返さないことが不条理との戦いでしょう。

幸いにも私たちは今回の不条理の出口付近にいるのかもしれません。しかし、油断すると不条理は再び迫ってきます。また、新たな不条理が現れることもあるでしょう。過去の記憶を生かし、現在の状況下で最善の選択と実行を行うこと、それこそが、現下の不条理に対する対決です。できないことを嘆くより、できることを考え、感染症対策には十分配慮しながら、徐々に普通の生活に戻していきましょう。今となっては普通の生活がどんなに貴重なものだったかがよくわかります。

今週の1本、1枚、1冊は、井上ひさし作、「父と暮らせば」。私は、宮沢りえ主演の映画、はまけいと斉藤ともこのCD、そして新潮文庫の脚本と3度この話を体験しました。できれば、みなさんにもそうしてほしいと思います。美しく果敢無げな宮沢りえの演技に酔い、すまけいと齋藤とも子のせりふの深みを味わい、脚本でそれまで気づかなかった井上ひさしの仕掛けに驚いてほしい。広島言葉が何とも魅力的です。脚本は新潮文庫にあります。

是非、ご視聴、ご一読を。

では、また来週このブログでお目にかかりましょう。お元気でお過ごしください。