校長BLOG

第3回 校長BLOG

大学入学共通テストにおける英語民間試験導入は、少なくとも現在の高2生に対しては中止された。現在の中1(高校では新学習指導要領の最初の生徒)の大学受験時まで延期するという。共通テストそのものは現在の高校2年生より実施される。しかし、英語を除けば、本校の2年生と1年生の皆さんにとって現行と大きな変化はない。皆さんは各教科のレポート作成で長文記述に慣れているし、各大学の個別試験対策としては共通テストの記述問題をはるかに上回る字数の記述問題をこなさなければならないからだ。

ID申し込みの準備をしてくださった先生方は骨折り損になってしまったが、大学に入学後、社会人となったときに英語のスピーキングは大事であり、4技能バランスよく学ぶ必要があるのは確かである。皆さんにとって民間試験のために勉強してきたことは決して無駄ではなかったと考える。因みに、東京都教育委員会ホームページによれば、スピーキングの民間試験は、現在の中1から都立高校入試に取り入れられる予定だそうである。

以下、先日の中庭集会で時間がないため話せなかった内容を載せます。

最近、自分の老化を感じることが多い。老眼が進んだことと、何と言っても物忘れである。

まず知っているはずの人の名前が出てこない。知っている人であり、顔は見た覚えがはっきりあるのだが名前が出てこない。自宅の2階にいて用事を思い出し、下に降りたとたんに何をしに下に降りたかを忘れている。良いアイデアを思い付き、メモを取ろうとノートを探し、ノートを見つけたときには肝心のアイデアを忘れている。

脳科学によれば、忘却は、情報が消失したわけではなく、その情報にたどり着けなくなる状態だそうである。それは、いわばタグがうまく読み取れず検索ができない状態である。実は、そもそも記憶動作時に「タグ付け」がうまくいっていないから忘れるそうである。つまり、記憶する段階で既に忘れやすい記憶は決まっているといえよう。

人の名前が出てこない状況に関して言えば、容貌のパターン認識は出てきているが、名前のタグが外れているので、覚えがある人間だとはわかっても名前が出てこない。必死に探していると時に名札が見つかるが、たいていは駄目である。

老化に伴い物忘れがひどくなるのは、タグ付け機能が低下するからと言えよう。ものを忘れると困るので、なんとか忘れないですむ方法を考えた。その策とは、タグ付けを強く意識することである。ある情報を覚えるときに、その記憶情報が探しやすくなるよう、キーワードを強く意識する。あるいは、キーワードを外部記憶装置であるPC、スマホやノート等へメモしておく。物忘れ予防には、記憶するぞと強く意識するだけでも効果がある。

また、完全に忘却する前に再び記憶することを何度も繰り返すと、記憶の順位が上がるせいか忘れにくくなる。1回で覚えようと必死になってもうまくいかない。どうせ忘れるものとして、最初の記憶動作時はそう頑張らず、そのかわり、繰り返して何度も記憶すればよい。エビングハウスという心理学者の提唱した「忘却曲線」を踏まえた記憶法である。

しかし、そもそも、新しい情報を記憶するためには忘却が必要だとも言われている。情報が多量で錯綜していれば、タグ付けがうまくいっていても検索困難である。余計なことはさっさと忘れること、初めから覚えないことも大事である。私も自分にとって都合の悪いことは即忘れる。これを人は老人力と呼ぶ。

記憶力は十代後半がピークだそうである。皆さんもこれからはだんだん記憶力低下に悩む。少年老い易く学成り難し。思考力、判断力、表現力も大事だが、今のうちにせいぜい基礎・基本を暗記してほしい。

今月の1冊、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」から第1篇、「スワン家の方へ」。この小説では、上で論じた意志的記憶ではなく、無意志的記憶がテーマとなっている。マドレーヌは無意志的なタグである。とにかく長い。分厚い本で13冊前後になる。しかし、20世紀の最高傑作とされる小説なので、第1篇だけでも読んでおこう。第一次世界大戦前後のフランス社交界という我々には縁遠い世界を垣間見ることができるし、真の意味でのデリカシーとスノビズムとを学ぶことができる。