第28回校長BLOG

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暢気に生きること、または手仕事の勧め

 

校長 大野 弘

 

今回は暢気な話をします。

先月のある休日、①網戸の張替えと②包丁砥と③靴の手入れをしました。①と②は、以前から連れ合いに頼まれていたことで、やっと果たすことができました。

網戸は半間×1間の大きさのものが2枚、家を建てて30年間何も手入れをしなかったので網がほとんど外れていました。網戸は、アルミサッシの枠組みに溝があり、合成樹脂の網を被せてゴムの紐で溝に押さえ込んでいく構造です。古いものを外し、新しい網を新しいゴムひもで溝に固定していきます。その際、ゴムひもを溝に押し込むためにローラーを使い、少し網に張力をかけて弛まないように張っていきます。その後、余分な網をカッターで切っていきます。ぴんと張るには技術が必要で、不器用な私は1枚で1時間かかりました。

包丁砥は、ステンレスの万能包丁3丁と鋼の出刃を1丁やりました。本当は、ステンレスと鋼では別の砥石を使い、かつ荒砥と仕上砥では別々の砥石を使うようなのですが、今回は1つの砥石でやりました。万能包丁は両刃であり、断面が角度の小さい二等辺三角形になるように両方から角度をつけて仕上げます。出刃は片刃で、片側は角度をつけますがもう片側は平面で断面は30°を下にして倒立させた直角三角形のような形に仕上げます。

靴の手入れは、ブラシをよくかけたのち、クリーニングクリームを塗って拭い、ワックスをかけて磨き、最後に黒の靴クリームを塗って磨いて完成です。

それぞれ、不器用な私には、多くの時間がかかり大変でした。網戸の張替えは炎天下のベランダでやったので熱中症にかかりかけました。これだけのことに、相当な時間と精神の集中が必要でした。純粋に効率だけを考えれば、これらの手作業は専門家に任せ、その分、自分の業務に打ち込むかのんびり休むほうが良いといえます。

しかし、それなりにぴんと張れた網戸を眺め、切れる包丁で夕食を作り、きれいになった靴で出勤すると快感です。そして、そういった現実的な効用だけでなく、手作業には、それ以上の精神的な満足感が期待できます。

日本をはじめとする先進国は分業化が進み、狭い分野での「高度」な専門家となることによって「食っていける」社会となっています。しかし、ほんの100年前の社会はそうではなかった。生活者は一人で多くのことをやっていたし、やらねばならなかった。山へ柴刈り(因みに、「芝刈り」ではなく、薪拾いです)に、川へ洗濯に、竈で炊事をしなければならなかった。そういった経験は、私たちのそれぞれの「社会的遺伝子」にしっかりと保存されています。深く狭い専門性だけでは、心の満足が得られないのではないでしょうか。

Society5.0では、身に着けた知識・技能が陳腐化する速度が非常に速い。新たな知識・技能を生涯学び続ける必要があり、精神的にも大変です。特に、このコロナ禍で社会の変化は加速し、ITを筆頭に技術は時々刻々変化して追いついていくのは大変です。電気自動車など実用は当分先でまずはハイブリッドとか、脱炭素化など夢のまた夢でそもそも地球温暖化などないと国家元首でさえ言っていたのはつい数年前です。私たちの精神は大きなストレスを感じ、かつ混乱しています。

そういったときには、逆に、「稼ぐこと」とはあまり直結しない手作業が重要になると思います。たとえば、生徒の皆さんも勉強に疲れたら、調理や掃除、洗濯等々の作業(家事)を心を込めて行うとすっきりすること請け合いです。体を使うことは、精神をより明敏に柔軟に自由にします。頭が疲れたら手を使う。是非試してみてください。

今月の一冊。「日日是好日(にちにちこれこうじつ)-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―」、森下典子著、新潮文庫。茶道の本ですが、それだけではない。生きる上で、「型」が大事であると納得できるエッセーです。この本をじっくり味わってください。そして、江戸時代の日本で、ひたすら音読して暗記するだけかのような儒教教育を受けて、福沢諭吉をはじめとする個性的で自主自立の人間が育った理由にも思いをはせてください。

第27回校長BLOG

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Covid-19と社会の分断

―2学期始業式あいさつより(補遺)―

 

校長 大野 弘

 

今回も新型コロナウイルス感染症Covid-19の影響で、校内放送での始業式になってしまいました。延期していた辛夷祭の対面実施も再延期となってしまい、期待し準備してきた生徒の皆さんには済まない気持ちでいっぱいです。

東京都と首都圏は重症者数が増大し医療状況は逼迫しています。さらに、ここにきてデルタ株の影響か、20歳未満の感染者が増え、学校から家庭への感染拡大が心配されています。20歳未満の新規感染者は東京都では全年齢の18.3%、全国では20%を超えています。(9月5日集計日経チャートで見る日本の感染状況より)今後は今まで以上に学校での対応が重要になってきます。

さて、この新型コロナウイルス感染症の社会的特徴は、分断を深めることにあります。経済的に『富める国』と『貧しい国』、一国の中での階級や階層間、信条や価値観の違いのあるグループ間の交流を閉ざし、分断を強めています。

例えば、『富める国』がワクチンの免疫効果を高めるために3回目の接種を行うという動きがあります。この動きにWHOは強く反対しています。それは、『貧しい国』ではまだ1回もワクチンを打てない人が多く、『富める国』の3回目のためにワクチンが使われるとますます『貧しい国』にワクチンが回らなくなることを恐れているためです。

また、アメリカ合衆国では、マスクをするか否かといった対応についてさえ、医学的な論争というより政治信条の違いから互いに相手をののしり合い強い分断が生じているとのことです。

一般に、この感染症への対応が難しいのは、疫学的対応と経済的対応が相矛盾することにあります。疫学的対応だけを優先すれば、国を閉ざし鎖国状態にして、国内でも生活必需品の買い物以外の外出を禁止する(ロックダウン)ことにより感染状況はある程度抑えられるでしょう。しかし、そうなると、経済状況は厳しいことになります。経済状況を元通りに戻すためには、時間も費用も社会的犠牲も大きいことでしょう。したがって、ほとんどの国と地域では、感染症の状況がひどくなると経済活動を絞り、感染症が落ち着くと経済活動を再開する、そのことによりまた感染症の状況がひどくなると再度経済活動を絞るということを繰り返しています。その繰り返しの中で、ワクチン接種の拡大や治療方法の確立等による感染症収束を待つという苦しい対応をしています。

このことは、学校においても同様です。新学期を前に、保護者の皆さんから大きく分けて2方向のご要望がありました。一つは、感染症が不安なので登校を全面的に禁止して全てオンライン授業にせよとのご要望です。もう一つは、授業はもちろん、行事や部活動についてもできるだけ通常に近い状態で行うようにとのご要望です。生徒の皆さんもこの二つの要望のどちらかを思っているのではないでしょうか。しかし、この二つの要望の双方を同時に満たすことはとても難しいことです。感染症への対応を強化すれば教育活動を大幅に制限せざるを得ません。逆に授業や行事、部活動等を通常のように行うと、現状では学校内でクラスターが発生する可能性が大になります。

学校としては、可能なコロナ防止対策は万全にする。生徒には、不織布マスクの推奨、昼食等での会話を控える、できるだけ密集しないといった一般的注意を守ってもらう。また、ご家庭には、生徒に風邪症状があったり、生徒またはご家族が感染の疑いでPCR検査を受けたりしたときには、学校に連絡し登校を控えていただく等の措置の徹底です。しかし、デルタ株をはじめとする感染力の強いウィルスでは、これらの今までの感染対策をスルーして感染することもあるとのことです。そうなってくると、感染の可能性自体を減少させるべく教育活動を制限せざるを得ません。最悪の場合、このほど文部科学大臣が基準を示したような、学級閉鎖、学年閉鎖、臨時休校も考えざるを得ません。そういった場合には、対面での授業、行事、部活動は全て不可能となります。

苦しい判断を迫られているわけではありますが、本校としては、何回かお話しした、第一に生徒の健康と安全、次に授業、そして行事や部活動等について、優先順位を付けて対応してまいります。生徒の皆さんも、楽しみにしていたことが中止や延期になり苦しいところだとは思いますが、なんとか力を合わせて今を乗り切り、全員無事で感染症収束後の学校生活へ繋げていきましょう。理解と協力をお願いいたします。

 

今は、最近新型コロナウイルス感染症関係の本を読み漁っています。その中で今月の1冊、朝日新聞社編 『コロナ後の世界を語る―現代の知性たちの視線―』。先に紹介したイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリやアメリカの生物学者にして文明批評家ジャレド・ダイアモンド、解剖学者養老孟司、生物学者福岡伸一など、国際的でかつ文理を問わない筆者たちが、コロナとその社会的影響に関して、生物学的、医学的、歴史的、社会的に考察しています。朝日新聞デジタルに載った記事なので表現は分かりやすく知的刺激に満ちた、そして新書版で薄くて読みやすい本です。不条理に流されるのではなく、不条理を何とか理解し、不条理に立ち向かうために、是非一読を。

第26回校長BLOG

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花の話-または、ワクチン接種とPCR検査の実際

宗旦という木槿が咲いている。木立であり、直径10cmほどの底紅と呼ばれる白い花びらの中心がほんのり紅に染まっている花である。清楚な姿でありながら、底に情熱を秘めているかの風情がある。私の大好きな花であり、千家三代の宗旦が好んだと言われる。宗旦は、利休の孫で侘茶を徹底し乞食宗旦と言われた。

木槿の花言葉は『信念』(諸説あり)、韓国で愛され国花となっている。一つ一つの花は一日限りだが、次々に蕾を開き、ひと月以上楽しめる。果敢無げでありながら、散っては咲き続ける姿にむしろ生命力を感じることもできる。

危機の時に、苦しさに沈み込むことなく希望を持ち続けるために、身近な花に注目して、ささやかな愉楽を感じるのもよい。Covid-19(新型コロナウイルス感染症)はますます猛威を振るっている。生徒も教職員もご家族の皆さんも、日本中、いや世界中が苦しんでいる。このような時には、現実に直接向き合い根本的な解決策を考えて実施するとともに、小さな幸せを見出すことが大事である。これは逃避ではなく、再び危機と対決するための方便である。

 

1 ワクチン接種の判断

さて、Covid-19収束のための切り札は、やはりワクチン接種にある。3密を避ける等の『対症療法』は必須ではあるが解決策とはなりにくいことは、韓国や台湾の例で明らかである。ワクチン接種で重要なことはそのスピードである。世界中で一気に接種して、世界中で収束させないと、感染が続いている場所で変異株が発生し、世界中でワクチンの効果を減じてしまう。社会的には、2回目接種完了者が4割を超えると予防効果が出始め、6割で減少傾向に、8割で収束に向かう、とも言われている。事実、日本でも接種が進んでいる65歳以上の高齢者(7月10日現在2回接種者が同年齢者の45.7%)では、新規感染者数も重症者数も全年齢層に対する割合が有意に減少している。

2月の校長ブログでは、自分がワクチンを打てる状況になったときどうするかの判断の方法について記した。簡単に復習すると、その意味するところは次の3つの式にまとめられる。

① 接種したほうが良い条件  接種によるメリット>接種によるリスク

② 接種によるリスク=副反応の重篤さ×発生確率

③ 接種によるメリット=個人的メリット(自分がかからなくなる)+社会的メリ

ット(社会全体の感染状況が改善される)

個々のファクターは簡単には数値化できないが、メディア等で情報を調べ考える際の枠組みにはなるだろう。また、ワクチン接種は自主意思によるべきものであり、強制されるものではないし、ワクチン接種の有無による差別等はあってはならないものである。

 

2 ワクチン接種の実態

次に、接種の具体的な報告をしよう。私は、5月末と7月初めに、大手町の大規模接種会場でモデルナ製のワクチンを接種した。皆さんが接種する際の参考に紹介する。

私が迅速な接種を選んだのは、

② 接種によるリスクについては次のとおり。アナフィラキシーショックなどの重篤なものは、その発生確率が低く、かつ発生する際は接種後短時間で起こるため規定の待機をすれば致命的なことの多くは防ぐことができる。一方、他の軽微な副反応の確率は接種部の痛みで6割以上、倦怠感は3割以上とけっこうある。

③ 個人的メリットとしては、65歳という年齢からCovid-19を発症した時の重

篤化の確率は高く、ワクチンの90%を超える効果は大きいこと。

社会的メリットとしては、校長という役割から私が学校関係者に感染を広げることは極力避けたいとともに、家族に感染させたくないし、さらに、私がワクチンを接種することにより社会的感染拡大を少しでも減少させるメリットは大きいと考えた。

① ということで、私の場合は、接種によるメリット>>接種によるリスクなの

で、予約券が到着次第予約したのである。

⑴ 予約

大手町の大規模接種会場の場合は、地元の自治体からの予約券さえあれば簡単にWEB予約ができる。まずは1回目の接種のみの予約である。多分、自治体独自の接種も簡単なIT操作でできるだろう。

⑵ 1回目の接種

予約した10分ほど前に会場に着いた。雨であったが建物の外にまで列ができていていた。受付、予診、接種、待機の順に進む。

受付は思いのほか順調で、予約券と身分証明書さえあれば簡単に済む。検温と持ち物チェックがある。発熱しているとここではねられる。必要書類をファイルで受け取り、そのファイルの色で8名ほどのチームを作りチームごとにその後の段階を進んでいく。以下、流石に自衛官の係員の皆さんの誘導と指示は的確で、小さなトラブルはあっても混乱は生じない。

予診は、多分自衛隊の医官の方、生徒の皆さんもよく受験する防衛医大出身の医師であろうか。親切かつ迅速な診察である。薬物アレルギー等が無ければ簡単となる。会場に行く前に、予診票を記入しておくほうが良い。

接種は、自衛隊の看護官の方であろうか。コロナウイルスのワクチン接種は全て肩への筋肉注射である。インフルエンザワクチンのように皮下注射ではないので、腕ではなく文字通り肩に注射する。私は半袖のシャツだったのだが、二の腕から肩にかけて太いため袖口を上げて肩を十分に出すということができず閉口した。Tシャツ等を勧める。注射自体は、針を刺す時に多少痛む程度であり、問題ない。

接種後、予診の際、アレルギーも心配なことも無かった人は15分間、何かあった人は、30分間待機所で待つ。私がいた時間では異常を訴えていた人はいなかった。この間、2回目の予約をする。モデルナワクチンは4週間後を勧めていたが、その時点で4週間後は既に予約が埋まっていて、結局その数日後を予約した。

この日もそれ以降も、注射を打った肩は多少痛むものの特に副反応を感じなかった。

⑶ 2回目の接種とその後の副反応

会場での手順は、1回目と全く同様。私の場合の2回目接種の特徴は副反応である。接種後、12時間、24時間、36時間、48時間がポイントであった。

接種自体は打ち手がうまかったのか1回目以上に痛みが無かった。しかし、6時間後くらいから肩に重いような痛みが始まる。12時間後には肩の痛みに加え、軽い寒気と倦怠感が出た。体温37℃付近で睡眠が妨げられる。24時間後、寒気で毛布を掛けるほど。体温37.7℃で強い倦怠感。肩の痛みも強く、肩の位置より腕が上がらず。仕事のできる状態ではない。接種の翌日は休みを取っておいてよかったと思う。36時間後、倦怠感薄れ寒気もなくなる。体温37℃。肩は痛いが他の症状は軽快。このあたりから、勤務可能となる。48時間後、副反応の症状はすべて消える。体温も通常の温度。

⑷ 自衛隊の働きについて

自衛隊が運営する大手町の大規模接種会場では、会場への到着から退場まで誘導と対応が適切で、流れが順調であった。到着から退場まで、15分の待機時間も含め1時間とはかからなかった。

かなりの数の接種希望者が押しかけていたことを考慮すると、見事な業務管理であった。見ていると、当然想定外の小さなトラブルはよくあるようである。その際は、その場の責任者がとりあえず判断して流れを止めない様にしていた。立ち止まって協議する時間は無いということだろう。より良い判断があると判明したら、その時に修正するということであろう。危機の時の組織的業務遂行について、他山の石とすべき仕事ぶりであった。

 

3 PCR検査の実態

先日、東京都教育委員会関係者との協議で都庁に行った帰り、都のPCRロボット検査機のモニタリングに参加した。モニタリングなので無料であった。このモニタリングの目的は、検査機械の実用性の確認と無症状者中の感染者の割合の把握にあったのではないかと勝手に想像している。私は好奇心が強いので、この手のことがあるとつい参加してしまう。

会場に入ると、自動的に検温され、スマホでwebにアクセスして氏名、年齢等のデータを打ち込む。その後、長さ15cmほどの綿棒と保存液入りのチューブを渡され、舌下に綿棒を差し込み2分間待つ。正面にレモンと梅干の写真が貼ってあったのはご愛敬。綿の部分をチューブに差し込み蓋をして係の人に渡して終了。翌日の晩に結果がスマホに届いた。陰性であった。陽性だったらすぐに地元の保健所等に連絡するようにと指示された。検査自体は規格化された正規のものではあるが、無料のモニタリング検査なので陰性証明は出せないとのことだった。

鼻粘液を採取する方法は多少苦痛があるようだが、唾液摂取の方法は全く苦痛が無い。デジタルの受付と結果報告、ロボット検査機の組み合わせは簡便にして確実、今後はこの方法が広がるのではないかと思った。

 

今現在の局面は、新規感染者数が急増し、今までの緊急事態宣言下にも増して危機的状況である。ワクチン接種済みの人の割合が大きくなり収束するまで、マスクをつける、3密を避ける等の自分でできる予防手段でなんとか感染せずに逃げ切りたいものである。そのためには、やりたいことも多々あるだろうが、収束までの我慢、ならぬ堪忍するが堪忍である。

 

今月の1冊、『明治維新の意味』、北岡伸一著、新潮選書。この本は本校の図書館の蔵書である。著者は政治学者で、日本の在ニューヨーク国連代表部に勤めた経験もある。そのスタンスは、現実的、実務派の保守主義者のそれであり、時の首相の諮問委員会等の委員や外務省の諮問委員会等の委員も務めている。そういった冷徹なマキャベリアンの目で、明治維新の意味を問い直した本である。

印象的な文章をいくつか挙げる。薩英戦争後の休戦交渉で、「イギリスを驚かせたのは、休戦交渉に現れた薩摩が、ただちにイギリスからの武器の購入を求めたことである。これまでの幕府との長々しい交渉と無責任な態度に業を煮やしていたイギリスは、薩摩の過去の経緯にとらわれない迅速で大胆な意思決定に感銘を受けた。」このことから、イギリスは幕府より薩摩にコミットするようになる。

江戸の無血開城で、武闘派の西郷が、「強硬論で味方陣営を取りまとめ、相手を圧倒し、相手が柔軟になったときには、柔軟に対応するというのは、西郷がこれまでもやったところである。慶喜が抵抗しないことを見てとった以上、江戸という大都市を混乱に陥れる理由はなかった。」逆に勝は、「もし朝廷側が強硬策に出る場合には、一種の焦土作戦を行う準備をしていた。」「焦土作戦が行われた場合、どのようなことになったか、われわれは近年の中東におけるアメリカの苦戦やISの執拗な抵抗から、想像は可能である。」

廃藩置県のスピード、「7月はじめまで、廃藩置県が近いうちに実現すると思っていたものは、誰もいなかった。ところが急速に話は進み、(7月)9日に、廃藩置県の決行が決まった。14日に断行ということが決まったのは、10日だった。そして実際に14日に決行された。疾風怒濤とはこのことである。」

征韓論に関わり西郷の特使派遣を潰した大久保について、「もし大久保がそのような懸念を持っていたとすれば、手続き的には相当に強引なことをしてでも特使派遣をひっくり返したのは、政治家として適切な行動だったと言うべきだろう。なぜなら、政治家の責任は結果責任であり、正しい結果を出すことがすべてである。手続きを踏むことは、二義的である。」

政治的に意見は異なったとしても、現代日本社会と国際社会を見る『方法』を学べる興味深い本である。