第4回 校長BLOG

第4回 校長BLOG

危機管理について

 最近の流行語の一つに、「ボーっと生きてんじゃねえよ」というのがあります。確かに、グローバルに見れば、日本人はボーっとしているかもしれない。しかし、それはそうしていても生きていられるということで、ある意味悪いことではない。むしろ、世界中がボーっと生きていられる状態になることが人類の夢かもしれない。

残念ながら、世界の多くの国では、自分でしっかり注意して緊張していなければ生きていけない。例えば、歩いて道路を横断する場合です。中部から北部のヨーロッパを除いた世界の多くの国では、気合を入れなければ無事に横断できません。横断歩道だのあまりなく、ましてや歩行者用の信号などめったにない。渡るときには、左右から車が来ないことを確認して渡るわけですが、大都市の交通量の多い道路ではなかなか車が切れません。ボーっと待っているといつまでたっても渡れないことになる。そこで、接近する車に「がんを飛ばす」、つまりは、運転手をにらみつけ俺が渡るから止まれよな、と眼力に物を言わすわけです。車もいちいち止まっていられないので歩行者を無視して通過しようとする。まさに、チキンレースが始まるわけです。歩行者としては強気だけではいけない。ある程度強気で渡るぞという強い意志を発しながら、運転者のほうがより強気だと判断したらさっとあきらめる。捲土重来を期すわけです。

日本にいれば、横断歩道と歩行者信号があり、個人としての歩行者が頑張る必要はない。しかし、国際社会で活躍するためには、気合を入れて道路を渡らなければならない。とりたてて自己責任などと言わなくとも、他者に自分の安全を委ねられる社会はめったに無いのです。グローバル社会は厳しい側面を持ち、だから強く反対する人も多いのです。

在ミラノの日本国総領事館のホームページに以下の文がありました。「イタリアにおける運転手のマナーは他の国と変わらず自己中心的で交通ルールはあってないようなもの、交通事故の危険性も日本に比較し遙かに高いです。」ヨーロッパの古い文明国たるイタリアにおいておや。言うまでもなく、このことは交通マナーのことだけではありません。基本的には、自分の安全は自分で守るというのがグローバルスタンダードです。

一般に安全な国とは、自分がしっかり周囲に注意し気を張って行動すれば安全である国であり、危険な国とは、いくら個人が注意していてもかなりの確率でリスクが降ってくる国のことです。もちろん、リラックスしていても安全な社会が理想であり、私たちはそういった国際社会を作っていきたいものです。しかし、そういった国際社会を作るためには、自分さえよければ、とか、自分の国さえよければ、といったことではなく、周囲の流れに反してでも他者のためにリスクを冒す覚悟が無ければならない。ポピュリストではだめなのです。

今月の一冊、ボーっと生きていなかった典型人物ユリウス・カエサルの「内乱記」を、2000年以上前の軍人・政治家とは思えぬ明晰な文章です。

第3回 校長BLOG

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大学入学共通テストにおける英語民間試験導入は、少なくとも現在の高2生に対しては中止された。現在の中1(高校では新学習指導要領の最初の生徒)の大学受験時まで延期するという。共通テストそのものは現在の高校2年生より実施される。しかし、英語を除けば、本校の2年生と1年生の皆さんにとって現行と大きな変化はない。皆さんは各教科のレポート作成で長文記述に慣れているし、各大学の個別試験対策としては共通テストの記述問題をはるかに上回る字数の記述問題をこなさなければならないからだ。

ID申し込みの準備をしてくださった先生方は骨折り損になってしまったが、大学に入学後、社会人となったときに英語のスピーキングは大事であり、4技能バランスよく学ぶ必要があるのは確かである。皆さんにとって民間試験のために勉強してきたことは決して無駄ではなかったと考える。因みに、東京都教育委員会ホームページによれば、スピーキングの民間試験は、現在の中1から都立高校入試に取り入れられる予定だそうである。

以下、先日の中庭集会で時間がないため話せなかった内容を載せます。

最近、自分の老化を感じることが多い。老眼が進んだことと、何と言っても物忘れである。

まず知っているはずの人の名前が出てこない。知っている人であり、顔は見た覚えがはっきりあるのだが名前が出てこない。自宅の2階にいて用事を思い出し、下に降りたとたんに何をしに下に降りたかを忘れている。良いアイデアを思い付き、メモを取ろうとノートを探し、ノートを見つけたときには肝心のアイデアを忘れている。

脳科学によれば、忘却は、情報が消失したわけではなく、その情報にたどり着けなくなる状態だそうである。それは、いわばタグがうまく読み取れず検索ができない状態である。実は、そもそも記憶動作時に「タグ付け」がうまくいっていないから忘れるそうである。つまり、記憶する段階で既に忘れやすい記憶は決まっているといえよう。

人の名前が出てこない状況に関して言えば、容貌のパターン認識は出てきているが、名前のタグが外れているので、覚えがある人間だとはわかっても名前が出てこない。必死に探していると時に名札が見つかるが、たいていは駄目である。

老化に伴い物忘れがひどくなるのは、タグ付け機能が低下するからと言えよう。ものを忘れると困るので、なんとか忘れないですむ方法を考えた。その策とは、タグ付けを強く意識することである。ある情報を覚えるときに、その記憶情報が探しやすくなるよう、キーワードを強く意識する。あるいは、キーワードを外部記憶装置であるPC、スマホやノート等へメモしておく。物忘れ予防には、記憶するぞと強く意識するだけでも効果がある。

また、完全に忘却する前に再び記憶することを何度も繰り返すと、記憶の順位が上がるせいか忘れにくくなる。1回で覚えようと必死になってもうまくいかない。どうせ忘れるものとして、最初の記憶動作時はそう頑張らず、そのかわり、繰り返して何度も記憶すればよい。エビングハウスという心理学者の提唱した「忘却曲線」を踏まえた記憶法である。

しかし、そもそも、新しい情報を記憶するためには忘却が必要だとも言われている。情報が多量で錯綜していれば、タグ付けがうまくいっていても検索困難である。余計なことはさっさと忘れること、初めから覚えないことも大事である。私も自分にとって都合の悪いことは即忘れる。これを人は老人力と呼ぶ。

記憶力は十代後半がピークだそうである。皆さんもこれからはだんだん記憶力低下に悩む。少年老い易く学成り難し。思考力、判断力、表現力も大事だが、今のうちにせいぜい基礎・基本を暗記してほしい。

今月の1冊、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」から第1篇、「スワン家の方へ」。この小説では、上で論じた意志的記憶ではなく、無意志的記憶がテーマとなっている。マドレーヌは無意志的なタグである。とにかく長い。分厚い本で13冊前後になる。しかし、20世紀の最高傑作とされる小説なので、第1篇だけでも読んでおこう。第一次世界大戦前後のフランス社交界という我々には縁遠い世界を垣間見ることができるし、真の意味でのデリカシーとスノビズムとを学ぶことができる。

第2回 校長BLOG

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 先日とても嬉しいニュースがありました。9 月27 日に本校で生徒向けの SSH 特別授業をしていただいた吉野彰先生が、今年のノーベル化学賞を受賞されたという知らせです。先生は、旭化成名誉フェローで、リチウムイオン電池の開発を行った方です。リチウムイオン電池は、スマホやタブレットパソコン、電気自動車などにはなくてはならない発明であり、国際社会に良き改革をもたらした大きなイノベーションです。
 先生の特別授業は、旭化成と日経新聞のお力で実現しました。「SDGsで考える。見つけよう未来への貢献」というテーマで、持続可能な開発目標、環境にやさしい開発の目標について事前に参加生徒が考え、互いに議論して、先生からコメントをいただくというものでした。参加した生徒たちは、懸命に考え、話し合い、先生とも意見の交換をすることができました。特別授業終了後には、先生のサインをいただいた生徒もおりました。
 本校の中期的なビジョンは、「イノベーションを引き起こし、国際社会に貢献するリーダー」を育てるというものです。まさに、先生の特別授業は本校のビジョンに即し、その具現化を支援してくださるものでした。
生徒の皆さん、是非、先生の後に続き、文理を問わず懸命に勉強して、社会を変える働きができる人間になってください。SSHでは、今後も生徒の皆さんの知的好奇心を刺激す 催しを企画してまいります。