2学期始業式での挨拶

2学期始業式での挨拶

校長通信が始まりました。最初は2学期始業式での私の挨拶を再現します。

生徒の皆さん、今年の夏休みはどうでしたか。辛夷祭の準備と部活動、そして学習、思っていた以上の活動ができたでしょうか。

私のこの夏の最大のトピックは、東京学芸大学の教職大学院で集中講義をしたことです。90分の講義を1日5コマ、3日間連続で行いました。主に現職の教員を相手に、学校組織の経営について話しました。これだけで2単位、普通なら週1回の講義3か月分以上、1学期分に相当します。「集中」して行ったので、聴く院生も大変だったでしょうが、準備するこちらも大変でした。PPを使った講義だったのですが、370枚のスライドを用意しました。
大変ではありましたが、収穫も多かった。今まで無意識に目の前の課題を何とかすることだけを考えていたのが、振り返ってその時その時のことを分析するとある程度一般化できる戦略、戦術もありました。

例えば、リーダーの主たる役割は決断することにありますが、現実の多くの場面では、情報も決断する時間も不十分で、最善の手を読み切ることができない。結果的には、次善の策、他の策より多少ましだと思われる手に決めざるを得ない。絶対的な判断ではなく、各状況下での相対的な判断です。従って、当然読み違いも出てくる。

問題は、決断そのものより、決断した後のリーダーの姿勢です。もっと良い判断があったのではないかと「うじうじ」後悔しても、何のメリットもない。むしろマイナスしかありません。リーダーは決断したら、その決断が最善の判断になるように、その後の取組で勝負する。自信をもって(自信のあるふりをして)、焦らず、慌てず、でも諦めず、最大の努力をします。結果的に、一か八かの決断を、最善の判断にしてしまえばよい。リーダーは判断を問われるのでは無く、結果を問われるのです。

皆さんは、部活や行事や委員会で、あるいはクラスの役割で、リーダーを務める機会があるでしょう。附高を卒業し、大学に入り、また社会に出れば、リーダーを務める機会は更に多くなることでしょう。そんなときに、私の拙いリーダー論を思い出して、とりあえず決断しその後の努力で結果を出すという試みを行ってみてください。もし、そのことにより事態が多少なりと好転したら、私の体験の一般化も意味があったというものです。

今月の1冊、経営論の神様、ピーター・ドラッガーの著書より4冊、「マネジメント」「非営利組織の経営」「プロフェッショナルの条件」「イノベーションと企業家精神」、商学部に進む生徒、起業したいという人はもちろん、理数系でも研究をマネジメントするために役立つし、そもそも、人生をマネジメントする(意識的、計画的に生きていく)ためにも有効です。英語に自信があれば原語で読んでください。