第29回校長BLOG

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ブックレビューについてのブックレビュー

または、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』について

校長 大野 弘

今回は大好きな本の話で終始する。

私は、「書を読め、家に籠れ」を旨としてきた。百聞は一見に如かずの逆で、極端な意見ではある。しかし、実際に何かを見たとしても、得られた情報を処理するための方法と基礎知識とが身についていなければ、意味のある情報は得られない。敢えて『時代遅れ』の意見を聴いてもらいたい。

現代の国際社会で、我が国にとり最も重要な国はアメリカ合衆国であろう。中国もかなり重要な国になりつつあるが、少なくともこの5年間はまずアメリカである。アメリカは、面積も人口も大きな国であり、最強の軍事大国かつ最大の経済大国である。この大国の全貌は、短期間、ある地域に滞在したからと言って理解できるものではない。長期間、複数の州で暮らすことが難しい一般の日本人にとって、次善の策として、本で理解を深めるということがありうる。

『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』、渡辺由佳里、亜紀書房、によると、会話のきっかけとして、世界中の多くのビジネスマンがよく選ぶのが「最近読んだ本」

という話題だそうだ。そんなことから、現代のアメリカを知るためには、アメリカ人が読んでいる本を知ることだと筆者は考えるようになったという。「ベストセラーになる本が優れているとは限らない。だが、多くの国民が何に関心を寄せているのかを垣間見ることはできる。だからこそ、本の内容だけでなく、ベストセラーという現象の背後にある社会情勢を考えることが重要なのだ。」私も筆者の考えに賛成である。

私が考えるに、筆者のバイアス(判断の前提となる考え方のパターン)は、穏健な進歩派(自由より平等重視、でも社会主義的ではない)、穏健フェミニスト(男女で機会平等であるべきという主張だが、反対者への強い攻撃姿勢はない)である。因みに、私のバイアスは、穏健保守(平等より自由重視、でも市場原理主義的ではない。結果重視だが結果が全てではない。)である。このことを前提に以下を読んでほしい。

この本で、特に注目したのは、次のⅠ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの3つの章である。

Ⅰ アメリカの大統領

まずは「前大統領」の暴露本のベストセラーが数冊、それらの主張は確かに私もそうだとは思うが、いまだに影響力の強い「前大統領」という現象を理解するためには、敢えて「前大統領」を評価している本も取り上げるべきではないかとも思う。ベストセラーにはそういう本が無いのだろうか。

私が読みたいと思ったのは、『Portraits of Courage』G. W. Bush、ブッシュ元大統領が描いたアフガニスタンやイラク戦争で負傷した軍人の肖像画集だ。元大統領の「その後の改心?」が伺われるとのこと。

そして、私が既に読んでいて面白かった『WHAT HAPPENED』ヒラリー・クリントン、光文社。大統領選に敗れた後に記した回想録。論理的、合理的で、情熱的な彼女の文章を読むにつけても、資質においてはるかに上回ると思える「彼女」がよりにもよって「彼」に何故勝てなかったのかと思う。いや、当時のアメリカ社会の「大衆の反逆」的状況により、「彼」にこそ勝てなかったのだろう。書名を挙げなかった幾冊かの前大統領批判書と読み比べると理解が深まる。

Ⅲ 移民の国、アメリカ

この章で私が読みたいと思ったのは、『世界と僕の間に』タナハシ・コーツ、慶應義塾大学出版社。「白人の国アメリカ合衆国」でアフリカ系アメリカ人として生きることがどういうことかを描いたエッセイ。アメリカの現実の一面を深く理解できそうである。早く手に入れよう。

Ⅳ セクシャリティとジェンダー

現代アメリカを語る上で、フェミニズムは避けては通れない課題である。『THE FEMALE PERSUASION』Meg Wolitzer、は穏健フェミニズムの小説である。ラジカルなフェミニストからは批判され、もちろん反フェミニズムの人からも批判されているそうだ。アメリカにおける理想と現実との微妙な関係を描き、フェミニズムのみならずアメリカ社会全体をとらえた小説だそうである。

Ⅴ 居場所のない国

この章からは2冊。

アメリカにおけるソーシャルメディアといじめを扱った『AMERICAN GIRLS』Nancy Jo Sales。アメリカでもネットいじめは酷いようだ。さらに、『いいね』を求めて見栄の張り合いになり性非行にも繋がっているそうである。日本の今とすぐ目の前の未来を見るようである。

もう一冊は、『ラボ・ガール』Hope Yahren、化学同人。これは前書と違い、読後感爽快であることを保証できる。私は、レビューを読む前からこの本を注目してざっと流し読みし、近いうちに熟読しようと決めてあった。ハワイ大学で「地球生物学Geobiology」を研究する、生物が三度の飯より好きな、そして双極性障害のある「リケジョ」の女性の回想録である。研究室における女性であるハンディキャップ、自身のもつ障害からのハンディキャップはしっかりと描かれているが、何と言っても、生物が好き研究が好きで「仕事」に夢中になっている人間が現実感をもって表現されている。しっかり読む前からわくわくする、熟読する時が待ち遠しい一冊である。

以上の紹介されたベストセラーで、日本の出版社名があるものは翻訳がある。翻訳が無いものも、皆さんの英語力なら少し努力すれば読めるだろう。是非挑んでほしい。そして、今のアメリカを読み取ってほしい。

ということで、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』自体も必読である。

第28回校長BLOG

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暢気に生きること、または手仕事の勧め

 

校長 大野 弘

 

今回は暢気な話をします。

先月のある休日、①網戸の張替えと②包丁砥と③靴の手入れをしました。①と②は、以前から連れ合いに頼まれていたことで、やっと果たすことができました。

網戸は半間×1間の大きさのものが2枚、家を建てて30年間何も手入れをしなかったので網がほとんど外れていました。網戸は、アルミサッシの枠組みに溝があり、合成樹脂の網を被せてゴムの紐で溝に押さえ込んでいく構造です。古いものを外し、新しい網を新しいゴムひもで溝に固定していきます。その際、ゴムひもを溝に押し込むためにローラーを使い、少し網に張力をかけて弛まないように張っていきます。その後、余分な網をカッターで切っていきます。ぴんと張るには技術が必要で、不器用な私は1枚で1時間かかりました。

包丁砥は、ステンレスの万能包丁3丁と鋼の出刃を1丁やりました。本当は、ステンレスと鋼では別の砥石を使い、かつ荒砥と仕上砥では別々の砥石を使うようなのですが、今回は1つの砥石でやりました。万能包丁は両刃であり、断面が角度の小さい二等辺三角形になるように両方から角度をつけて仕上げます。出刃は片刃で、片側は角度をつけますがもう片側は平面で断面は30°を下にして倒立させた直角三角形のような形に仕上げます。

靴の手入れは、ブラシをよくかけたのち、クリーニングクリームを塗って拭い、ワックスをかけて磨き、最後に黒の靴クリームを塗って磨いて完成です。

それぞれ、不器用な私には、多くの時間がかかり大変でした。網戸の張替えは炎天下のベランダでやったので熱中症にかかりかけました。これだけのことに、相当な時間と精神の集中が必要でした。純粋に効率だけを考えれば、これらの手作業は専門家に任せ、その分、自分の業務に打ち込むかのんびり休むほうが良いといえます。

しかし、それなりにぴんと張れた網戸を眺め、切れる包丁で夕食を作り、きれいになった靴で出勤すると快感です。そして、そういった現実的な効用だけでなく、手作業には、それ以上の精神的な満足感が期待できます。

日本をはじめとする先進国は分業化が進み、狭い分野での「高度」な専門家となることによって「食っていける」社会となっています。しかし、ほんの100年前の社会はそうではなかった。生活者は一人で多くのことをやっていたし、やらねばならなかった。山へ柴刈り(因みに、「芝刈り」ではなく、薪拾いです)に、川へ洗濯に、竈で炊事をしなければならなかった。そういった経験は、私たちのそれぞれの「社会的遺伝子」にしっかりと保存されています。深く狭い専門性だけでは、心の満足が得られないのではないでしょうか。

Society5.0では、身に着けた知識・技能が陳腐化する速度が非常に速い。新たな知識・技能を生涯学び続ける必要があり、精神的にも大変です。特に、このコロナ禍で社会の変化は加速し、ITを筆頭に技術は時々刻々変化して追いついていくのは大変です。電気自動車など実用は当分先でまずはハイブリッドとか、脱炭素化など夢のまた夢でそもそも地球温暖化などないと国家元首でさえ言っていたのはつい数年前です。私たちの精神は大きなストレスを感じ、かつ混乱しています。

そういったときには、逆に、「稼ぐこと」とはあまり直結しない手作業が重要になると思います。たとえば、生徒の皆さんも勉強に疲れたら、調理や掃除、洗濯等々の作業(家事)を心を込めて行うとすっきりすること請け合いです。体を使うことは、精神をより明敏に柔軟に自由にします。頭が疲れたら手を使う。是非試してみてください。

今月の一冊。「日日是好日(にちにちこれこうじつ)-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―」、森下典子著、新潮文庫。茶道の本ですが、それだけではない。生きる上で、「型」が大事であると納得できるエッセーです。この本をじっくり味わってください。そして、江戸時代の日本で、ひたすら音読して暗記するだけかのような儒教教育を受けて、福沢諭吉をはじめとする個性的で自主自立の人間が育った理由にも思いをはせてください。

第27回校長BLOG

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Covid-19と社会の分断

―2学期始業式あいさつより(補遺)―

 

校長 大野 弘

 

今回も新型コロナウイルス感染症Covid-19の影響で、校内放送での始業式になってしまいました。延期していた辛夷祭の対面実施も再延期となってしまい、期待し準備してきた生徒の皆さんには済まない気持ちでいっぱいです。

東京都と首都圏は重症者数が増大し医療状況は逼迫しています。さらに、ここにきてデルタ株の影響か、20歳未満の感染者が増え、学校から家庭への感染拡大が心配されています。20歳未満の新規感染者は東京都では全年齢の18.3%、全国では20%を超えています。(9月5日集計日経チャートで見る日本の感染状況より)今後は今まで以上に学校での対応が重要になってきます。

さて、この新型コロナウイルス感染症の社会的特徴は、分断を深めることにあります。経済的に『富める国』と『貧しい国』、一国の中での階級や階層間、信条や価値観の違いのあるグループ間の交流を閉ざし、分断を強めています。

例えば、『富める国』がワクチンの免疫効果を高めるために3回目の接種を行うという動きがあります。この動きにWHOは強く反対しています。それは、『貧しい国』ではまだ1回もワクチンを打てない人が多く、『富める国』の3回目のためにワクチンが使われるとますます『貧しい国』にワクチンが回らなくなることを恐れているためです。

また、アメリカ合衆国では、マスクをするか否かといった対応についてさえ、医学的な論争というより政治信条の違いから互いに相手をののしり合い強い分断が生じているとのことです。

一般に、この感染症への対応が難しいのは、疫学的対応と経済的対応が相矛盾することにあります。疫学的対応だけを優先すれば、国を閉ざし鎖国状態にして、国内でも生活必需品の買い物以外の外出を禁止する(ロックダウン)ことにより感染状況はある程度抑えられるでしょう。しかし、そうなると、経済状況は厳しいことになります。経済状況を元通りに戻すためには、時間も費用も社会的犠牲も大きいことでしょう。したがって、ほとんどの国と地域では、感染症の状況がひどくなると経済活動を絞り、感染症が落ち着くと経済活動を再開する、そのことによりまた感染症の状況がひどくなると再度経済活動を絞るということを繰り返しています。その繰り返しの中で、ワクチン接種の拡大や治療方法の確立等による感染症収束を待つという苦しい対応をしています。

このことは、学校においても同様です。新学期を前に、保護者の皆さんから大きく分けて2方向のご要望がありました。一つは、感染症が不安なので登校を全面的に禁止して全てオンライン授業にせよとのご要望です。もう一つは、授業はもちろん、行事や部活動についてもできるだけ通常に近い状態で行うようにとのご要望です。生徒の皆さんもこの二つの要望のどちらかを思っているのではないでしょうか。しかし、この二つの要望の双方を同時に満たすことはとても難しいことです。感染症への対応を強化すれば教育活動を大幅に制限せざるを得ません。逆に授業や行事、部活動等を通常のように行うと、現状では学校内でクラスターが発生する可能性が大になります。

学校としては、可能なコロナ防止対策は万全にする。生徒には、不織布マスクの推奨、昼食等での会話を控える、できるだけ密集しないといった一般的注意を守ってもらう。また、ご家庭には、生徒に風邪症状があったり、生徒またはご家族が感染の疑いでPCR検査を受けたりしたときには、学校に連絡し登校を控えていただく等の措置の徹底です。しかし、デルタ株をはじめとする感染力の強いウィルスでは、これらの今までの感染対策をスルーして感染することもあるとのことです。そうなってくると、感染の可能性自体を減少させるべく教育活動を制限せざるを得ません。最悪の場合、このほど文部科学大臣が基準を示したような、学級閉鎖、学年閉鎖、臨時休校も考えざるを得ません。そういった場合には、対面での授業、行事、部活動は全て不可能となります。

苦しい判断を迫られているわけではありますが、本校としては、何回かお話しした、第一に生徒の健康と安全、次に授業、そして行事や部活動等について、優先順位を付けて対応してまいります。生徒の皆さんも、楽しみにしていたことが中止や延期になり苦しいところだとは思いますが、なんとか力を合わせて今を乗り切り、全員無事で感染症収束後の学校生活へ繋げていきましょう。理解と協力をお願いいたします。

 

今は、最近新型コロナウイルス感染症関係の本を読み漁っています。その中で今月の1冊、朝日新聞社編 『コロナ後の世界を語る―現代の知性たちの視線―』。先に紹介したイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリやアメリカの生物学者にして文明批評家ジャレド・ダイアモンド、解剖学者養老孟司、生物学者福岡伸一など、国際的でかつ文理を問わない筆者たちが、コロナとその社会的影響に関して、生物学的、医学的、歴史的、社会的に考察しています。朝日新聞デジタルに載った記事なので表現は分かりやすく知的刺激に満ちた、そして新書版で薄くて読みやすい本です。不条理に流されるのではなく、不条理を何とか理解し、不条理に立ち向かうために、是非一読を。