第24回校長ブログ

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方法序説2

―新型コロナウイルスワクチン、または視点の多様化について―

今日は、「判断の方法」を考えてみよう。題材は14日に承認されたファイザー社のSARS-CoV-2(新型コロナウイルス)ワクチンの接種について。自分が接種対象となったときに接種すべきかどうかの判断の方法について、その一例を述べよう。キーワードは「複数の視点」と「確率の導入」だ。

まずは、ワクチンの概況を説明する。ファイザー社製ワクチンはその有効性が95%と言われている。予防効果の持続期間は確立していない。副反応は数日内で消える程度のものは半数以上にあるが、アナフィラキシーなど重篤なものは20万回に一回程度。2月17日から医療従事者に接種を始め3月には370万人に広げる。4月から65歳以上の高齢者3600万人に接種し6月末までの接種を目指す。その後基礎疾患のある方、最後は高校生も含め16歳以上の一般への接種となる。対象者には努力義務を課す。接種は無料で3週間間隔で2回打つ。順調なら来年2月にはほぼ全国的に接種が終了する。大規模接種の管理が課題である。以上、日経新聞2月16日および電子版日経メディカルによる。

ワクチンを接種する利点は、感染しにくくなること、感染しても重症化しにくくなることだ。この効果が大雑把に言って95%。これは、インフルエンザウイルスワクチン(30~60%の効果)に比べてもかなりの効果と言える。一方、ワクチン接種のリスクは副反応(副作用)である。注射した部位の軽い腫れと痛み等はかなりの確率であるが数日で軽快する。問題は重症の副反応、アナフィラキシー等であろう。これは医療機関での迅速かつ適切な治療を必要とする重大な副反応である。しかし、この副反応が起こる確率はおよそ20万分の1だという。また、アナフィラキシーは接種後短時間(30分くらいまで?)に発生する。

一般にリスクを考えるときには、それが起こったときの被害とそれが起こる確率との積を考える。極端な例を挙げると、直径10kmを超える天体が大きな相対速度で地球に衝突すると地球上の多くの生物が死滅する(恐竜の絶滅等)と言われているが、そんな衝突の確率は極端に小さい(数千万年に1回?)ので、日本では心配して策を考えている人はごく少ない。むしろ、首都直下型地震(今後30年間に発生する可能性70%で予想される死者23000人)等を心配し備えている。

さて、まずは、個人の視点で考えてみよう。ワクチンを打つことによるリスクは、かなりの可能性で発生する接種部位の軽い痛みや軽い発熱等と、20万分の1ほどの確率で発生するアナフィラキシーであり、後者は重い副反応ではあるが、すぐに医療措置を講じれば必ずしも致命的ではないし、その発生が接種後短時間に集中するのでコントロールしやすいとは言える。もちろん、他のワクチン接種による副反応があった方や食物アレルギーがある方等は、このワクチン接種による副反応も起こりやすいので主治医の判断を仰いだ方が良いだろう。さらに妊娠している方も主治医に相談する必要がある。

これに対して、ワクチンを打たないことによる感染の可能性はどうであろうか。例えば東京都では現時点の累計で10万人ほどが感染している。人口の約100分の1である。感染した時の発症化率と重症化(集中治療室での治療が必要等)率は年齢や既往症の状況により大きく異なる。重症化する人の割合は全年齢では感染者の約1.6%(50歳代以下で0.3%、60歳代以上で8.5%)、死亡する人の割合は全年齢では感染者の約1.0%(50歳代以下で0.06%、60歳代以上で5.7%)である。高校生では重症化率も死亡率もさらに少ない(全年齢の二桁下?)。つまり、ワクチンを打たないときの感染率は100分の1程度であるが重症化率は全年齢では感染者のさらに1.6%ほどであり、高校生に限ると感染して重症化する可能性はかなり低いものと考えられる。

さて、そうなると、ワクチンを接種することのリスクと接種しない場合のリスクを考えた場合、個人としてはどう考えるか。私自身は、東京在住で感染する可能性が結構ある上に年齢的に感染した時の重症化率も高いので、副反応で重篤となる20万分の1の確率とそうであっても接種後早い時間に分かるので治療することにより助かる可能性が大きいことも考えて、接種することを選ぶ。しかし、高校生の諸君は、自分のリスクバランスを考えて、判断に迷う人も多いかもしれない。

そこで、第2の社会的視点である。まずは身近な範囲から考えよう。高校生自身の感染による重症化率は小さいかもしれないが、感染率は東京や神奈川に住んでいれば100分の1くらいはある。そうすると、ワクチンを接種しないことにより高校生が感染すると、ご家族の方、特に既往症を持っていらっしゃる方や、60歳以上のご高齢の方への感染の可能性があり、その方たちが感染すると重症化しかねない。このことは、家族を超えて社会全体をとってみても言える。ワクチンを接種しない結果、若者が無症状の感染者となり感染を広げ、重症化率の高い人々の生命を危険にすることがあり得る。現在の情報を基に社会的視点から考えれば、ワクチン接種を進めるべきであろう。ただし、社会的視点で判断する際は、万が一の個人的リスクを最小にすべく配慮するとともに、重大な副反応が起こったときの社会支援が必要である。

総合的な視点で考えても、ワクチンを接種した時の副反応等の個人的リスクに対して、個人的利点としての発症を防ぎ重症化を防ぐ可能性と社会的利点である感染することが大きなリスクとなる他者への感染防止と集団免疫獲得との総和を考えると、「努力義務」として接種を促すのも妥当だと考える。

このように、複雑な問題を判断する時には、それぞれの確率も考慮の上で、複数の視点で利害を考える必要がある。このことを「判断の方法」として身に着けてほしい。

 

今月の1冊、『21世紀の資本』、トマ・ピケティ、みすず書房。皆さんのご両親は何を今さらとおっしゃるかもしれない。原著は2013年にフランスで公刊され、2014年末に日本訳が出版された。世界的なベストセラーとなっている。長い。厚さ43mm、本文608ページの大部の本である。著者のピケティはフランスの経済学者。社会における格差に注目して研究している。

この本の趣旨は、以下のとおり。3世紀にわたる20か国の統計資料の研究により、①資本収益率(資産により得られる配当金や利息など)は経済成長率(労働所得に関係する)を上回る(荒っぽく言うと、金持ちはより金持ちに、資産を持たぬ人はより貧しくなる)ので、経済格差は拡大している。②この格差を縮小するためには、累進課税などにより利潤の再配分(金持ちから貧しい人へ)を行う必要があるというものだ。

私が最も苦手とする経済の本を読もうと思ったのは、現代のグローバル社会は、まさに格差が拡大しつつあり、アメリカのトランプ政権はそれをむしろ助長するような政策を取ったのに対して、バイデン新大統領の政権は格差是正の政策へと舵を切ったからだ。ピケティの主張が世界を変えていくかもしれない。現代の経済学の大著にしては、数式がほとんどなく、具体的でイメージを喚起する資料と見解が述べられていて、「読みやすい」。全部読まなくて、拾い読みでもよい、一読を。

第23回校長BLOG

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バランス感覚、または『汝義に過ぎるなかれ』について

 明けましておめでとうございます。
 今年こそ、良い年になってほしい。皆で良い年になるよう力を合わせて努力してまいりましょう。今は極めて厳しい状況であり、『あれかこれか』の発想で思い切った判断をして、最優先すべきこと(生徒の健康と安全)を守るためには多くのことを諦める必要があるでしょう。
 旧約聖書に伝道の書(または「コヘレトの言葉」)というものがあります。エルサレムの王、ダビデの子、ソロモンに託して、紀元前数百年のユダヤ世界の一つの世界観を示したものです。大宗教の経典?でありながら内容は我々にとってとても興味深く、現代的でさえあります。世界は全て『空の空』であると無常観を訴えた(般若心経やルバイヤート、平家物語と何が同じで何が違うのか?)かと思うと、『あなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮らすが良い』(無常観を基盤としたからこそのマイホーム主義?)と記したりしています。
 さて、その伝道の書で最も印象深かったのが、『汝義に過ぎるなかれ』です。表面的に解釈すれば、あまり正義正義と言うなよというわけです。一神教の経典としてはユニークな見解です。もちろん、一般的な解釈としては、自分だけが正しいと思って強く自己主張して他を否定することはよくないというものです。
 現在の厳しいコロナ禍の状況、世界的にも分断が進む状況では、単純に善悪を決めて、自分たちだけが正しく反対するものは全て悪だと断定する方が容易であり自己満足しやすい処し方です。政治的にもその考えを助長するポピュリズムが世界を覆っています。『大衆の反逆』の時代です。
 しかし、この短絡的なポピュリズムは人類にとって良いこととは思えません。理解できないことを言う人は全てフェイクだと決めつけることは、中長期的には誤った政治的決定に結び付くことが多いと思います。大事なのは、自分が間違っているかもしれないと考えて、一方的な偏った決定を避けて、バランスをとることです。かの国でも大統領とは異なる政党をあえて議会で多数にするという発想があるそうです。
 幸い、昨年末になって、やっと少しはポピュリズムとは異なる潮流が見られるようになり、最大のブラックエレファント・地球温暖化への取り組みも強まりそうです。コロナとの戦いも同様に、デマに惑わされず、論理的な思考で中長期的な判断を下し、着実に収束させたいものです。マスクの有効性について専門家の間でさえ異なった考えがあり、ある時間をかけての科学的な検証からやはりマスクをしたほうが良いという結論に至りました。バランス感覚という意味では、意見が定まらない状況では、マスクは有効でありしたほうが良いという考えは仮に間違っていたとしても実害は少ない、であるならばとりあえず結論が定まるまでマスクをしておこう、という態度が有効だったわけで、そういった意味では、日本社会のバランス感覚は正しかったと思います。
 バランス感覚に優れた判断は、えてして軟弱で明確でないように言われますが、それを守りきるためには勇気と忍耐もいるわけです。私自身、明晰で明確なことが好きであり、バランスを失することが多いだけに厳重に注意すべきと考えています。
 バランス感覚に優れた民主的な判断は冗長で危機の際には向かないという意見もあり、現在では、民主主義自体を見直そうという議論さえあります。その問題に利害関係が無くSNS等の誤った情報に踊らされた人の判断も、利害関係者のしっかり考えた人の1票と同じ価値を持つ民主主義は不当だという考えです。ポピュリズムと正反対のようですが、欧米では両者が連携してリベラルな民主主義に対峙することが多いようです。つい最近までの超大国の状況もそうでした。この傾向は、かの国では未だに約半数の国民の支持を得ているようです。
 それに対して、民主主義を修正してバランス感覚に優れた政治・判断のシステムをつくろうという動きもあります。言わば選挙における『バウチャー制度』とも言えるもので、国民一人に同じ点数を配給し、代議員に投票するのではなく個々の政策に点数を投票する。関心のある政策・自分の判断が明確な政策に多くの点数を投票し、関心のない問題・よくわからない問題には投票しないのです。このことにより、選挙人の意向がより細かく政策に反映するとともに、SNS等に煽られての判断が避けられるというわけです。
 バランス感覚をもって、民主主義も欠陥のある改良の余地のあるシステムだと考えることは、むしろ民主主義を深化させることになる。生徒の皆さんは、バランス感覚を磨き、民主主義を不断に改善していくよう市民としての責任を果たしてください。
 今月の1冊、『ビーグル号航海記』、チャールズ・ダーウィン、岩波文庫。ダーウィンは、アインシュタイン、ケインズと並んで20世紀の世界に最も影響を与えた3人だと思っています。他の2人の主著は少なくとも大学レベルの数学や経済学の知識が無ければ理解できませんが、種の起源と並ぶダーウィンの主著は生物好きなら楽しく読めます。種の起源の生まれた根底が分かります。一読を。

第22回校長BLOG

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経済学の役割、またはブラックエレファントへの備えについて

 ここ10年程、私の愛読紙は日本経済新聞(日経)です。デジタルでは日経メディカルも眺めています。経済の目で世界を眺める、経済の目で教育を考えるということは、現在の国際社会では当たり前のことですが、私たち日本の教育界では特殊なことかもしれません。

全員が利己的な動機に基づいて行動すれば社会は自然にうまくいくという古典的な『見えない手』のドグマは、『教育の世界』ではとても受け入れられないことでしょう。また、『最大多数の最大幸福』などという目標も、人間を集団で捉えることなく一人の生徒を大事にするという教育界では異端の考えかもしれません。

しかし、メリットとデメリットで判断する経済的な考え方は、教育を現実的に考えるためには有効なこともあると思います。判断に迷うような課題については、あらゆる面で正しい解答は存在しない。現在の状況下で、未来の状況も考えつつ、比較的メリットの多そうなデメリットの少なそうな選択肢を選ぶしかないでしょう。決断して実行していく過程で、細かに評価して微調整をしていく。その過程を通じて、選んだ選択肢を結果的に最善のものに作り上げていくことこそが大事なことです。結論は、経済学的であるとともに優れて教育的だと思いませんか。

10月30日付の日経を読んで、二つの言葉に目が留まりました。ブラックスワンとブラックエレファントという言葉です。

ブラックスワンという言葉は前にも聴いたことがありました。白い白鳥の中での黒い白鳥(黒鳥?)ということで、確率は低いが当たると大変な損害を与える危険を指す言葉です。少し検討してみましょう。明日の天気予報で、①降水確率10%で降っても降水量は1mm未満の数値に表れない程度の少量という時、多くの人は傘を持っていかないのではないでしょうか。一方、②降水確率60%で降ったら土砂降りと言われたら多くの人は朝雨が降っていなくても傘を持っていくでしょう。③降水確率60%だが降っても降水量はほんの少しというなら降られても被害は小さいので傘を持っていくかの判断は分かれることでしょう。

問題は、④降水確率は10%だが、降ったら大変な豪雨になるという予報にどう対応するかです。これがブラックスワンです。人によって価値観によって判断は分かれるでしょう。この場合は傘を持っていくという少ないコストですから、慎重な人は傘を持っていくという判断になるかと思います。しかし、リスクを避けるために大きなコストがかかるときにはどう考えるべきでしょうか。

ブラックスワンを考えるときの一つの考え方として、下の式(のようなもの)があります。

起こったときの被害×起こる確率>予防策のコスト

こういった状態なら積極的に予防策を講じるべきだというのです。もちろん、それぞれの項目を数値化することは難しいでしょうから簡単に定量的に判断できるものではありません。ただ、こういった発想で考えると問題点が整理されてくると思います。現実の社会では、無制限にコストをかけることはできませんから、自ずからやれること、やるべきことは限定されるはずです。

さて、ブラックエレファントです。これは、起こる可能性が高く起こってしまったら大変な被害が生じることが分かっていながら、対応されていない危機のことです。例えば、地球温暖化への対応です。

現在では、地球温暖化は現実に進行しその影響が現れていること、原因は化石燃料の燃焼等による二酸化炭素をはじめとした温暖化ガスの排出量が増加したことだとわかっています。当然、対策としては、温暖化ガスの排出削減と発生したものの適切な処理ということになります。対策には大きなコストがかかりますが、明らかに『起こったときの被害×起こる確率>>予防策のコスト』です。この状況で対策をとらないことはまさにブラックエレファントを放置することです。

しかし、一部の国では、目先の利害を優先してこのブラックエレファントをあえて見ない、無いものと見做すことがあるようです。特にリスクを回避するために、今までかけてきた資源と努力を無駄にしなければならないケースなどでは、集団でブラックエレファントを無視する傾向が顕著です。ブラックエレファントへの対応には、議論の余地はありません。為すべきことを為すだけです(損切と言います)。判断の問題ではなく、実行力の問題であり勇気の問題です。

生徒の皆さんには、ブラックスワンには賢明に対応し、ブラックエレファントには毅然として対応できるようになってほしいと期待しています。

ということで、今月の1冊、『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたか』、小田中直樹著、日経BP。感染症は社会的な現象であり、同時に社会に大きな影響を与える現象です。この本は感染症と社会の相互作用を歴史的経済学的視点で捉えています。内容はとても分かりやすい。著者の望みと同様、この本が皆さんにとってポストコロナの時代を考えるきっかけとなることを願っています。