第7回 校長BLOG

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本校の入試も終了した。多くの受験生が本校を目指してくれるのは有難い。その気持ちに応え、ますます本校を良い学校にしていきたい。

さて先日の中庭集会での話。私の話は短いことだけが取り柄と自覚し、かなり端折っていたので少し付け加える。

 

いろいろな機会に話してきたが、いよいよイギリスのEU離脱の時が来た。2016年の国民投票の結果である。EU内であれば通関手続き無しで関税無し、単一市場で貿易が進むし、人の移動が自由で諸国間の交流が深まる。ところが、移行期間を経て来年からは、これらが無くなる。イギリスにとって、離脱派の人たちの言うように「EUから離脱さえすれば明るい未来が開ける」のだろうか。主要国の一つが抜けてEUはどうなるのだろうか。

イギリス内の国際的企業が「出英国」の動きを進めている。EU内のイギリスだから生産拠点やオフィスを置いていたが、そうでなくなれば他のEU諸国に移すというのだ。当然イギリスの経済、雇用にとって痛手である。また、離脱派の人々はEUの拠出金が無くなればその分医療費や経済活性化に使えるとしていたが、どうやら離脱の混乱でGDPが下がり拠出金分を超える損失だという分析さえ出ている。

一方、EU側からすると、今までは5億人の巨大市場としてアメリカや中国と対峙してきたが、今後は域内第2の経済大国が外れるわけで、当然他の国や地域への影響力は下がるだろう。英独仏のトロイカ体制が独仏+伊になることで、内部の結束力がどうなるかも予断を許さない。

ヨーロッパは統合から再び分裂の時代を迎えるのか。そもそも世界も協調から分裂の時代を迎えつつあるかのような様相である。グローバル化の特徴は、協調と寛容と自由競争である。そこには光と影とがある。国家としての既得権益が無くなり、一部の階層には不利に働く。つまり、どこの国民であろうと、同一の能力・同一の努力に対して同一の報酬が用意される。遠く離れた場所で生まれた宗教も文化も異なった人々が、自分の競争相手になるのである。このような自由市場は、人によって有利にも不利にも働く。有利となる人々がグローバル化を推進してきたが、不利になる人々がそれを阻止しようとしている(自国第一主義もその一つ)ということだろう。しかし、私見では、最大多数の最大幸福という観点で言えば、グローバル化の方向は間違っていないし、不利になる人々への配慮を行いつつ進めていくべきだと思っている。

 

さて、もう一つの話題は新型コロナウイルス感染症、これも今燃え盛っている。私たちとしては、落ち着いて、しかし集中して取り組むことが必要だ。中国湖北省武漢市の市場で売られていた野生動物が発生源だといわれている。原因となるウイルスはRNA型のウイルスで変異しやすい為、動物から人に感染するように変異し、さらに、人から人に感染するように変異してしまった。人にとっては未知のウイルスなので免疫が無く、広範囲の伝染と重症化の恐れがある。

医学的に効果があると言われている予防法は、①徹底した手洗い。石鹸でよく洗い、さらにエタノールでの消毒が有効である。②感染しても発症しないように、栄養と睡眠・休息を十分にとり体調を整えておくこと。③万が一、熱や呼吸器疾患等の症状が出たら他に感染させないようマスクをする。④特に受験生は、不要不急の人込みへの外出を避ける。等である。

ところで、最近、発症していないのに感染していた人が複数発見された。感染拡大を阻止するためには、厄介な事態ではあるが、一方においては、感染しても発症しない人・ウイルスの組合せが出てきたことを物語る。毒性の弱いウイルスが出てきたのか、人の免疫システムが追い付いてきたのか。

因みに、生物学的に言って、毒性が弱いことは決してウイルスにとって不都合な性質ではない。毒性が強いと、宿主の生物がすぐに死んだり、すぐに動けなくなったりするためウイルスが他の多くの宿主に感染し増殖することができない。むしろ、宿主にほとんど悪影響を与えず有益なくらいの方が、自分が世にはびこるためには好都合である。人の腸内細菌やマメ科植物の根粒バクテリアなどまさにこれらの例であり、真核生物の細胞中のミトコンドリアなどこういった寄生生物の究極の姿だと言えよう。

それはそれとして、ヒトが生まれて以降、わけのわからぬ寄生生物による危機は数多あった。典型的なのは中世から近代にかけてのペストの脅威であり、ダニエル・デフォー(研究社・ペストの記憶)やアルベール・カミュ(新潮文庫・ペスト)の作品を読むとそのリアルな様相が理解できる。しかし、最近のケースが過去の事例と異なるのは、感染拡大の伝播速度でありその影響のグローバル化である。飛行機による人の移動、世界経済が一体化したことによる負の面がもろに出たと言えよう。いまや中国は「世界の工場」となっている(特に正に武漢市)ので、世界中にその影響が出ていて、日本やアメリカの自動車や機械生産への影響はもちろん、ついにはヨーロッパでも工場がストップしたとのことである。好むと好まざるとに関わらず、世界は狭くなり、国際的な相互関係は深まっているのである。

 

二つの話題の共通のテーマに気が付かれたことと思う。それは否応なく進むグローバル化の光と陰であり、一時的、限られた地域ではその動きに逆行できても、時代はそして世界はグローバル化の方向に進むだろうということである。であるならば、我々は、特に次代を担う生徒諸君は、どのように行動すべきか。影の部分を見なければ、ブレグジットやアメリカの状況のように、大きな抵抗にあい、それは最大多数の最大幸福に悖ることになる。グローバル化を進めるとともに、そのことにより不利益を被る人への最大限の配慮をしていかねばならない。未来を担う若者たち、頼んだぞ。

 

今月の1冊、フランスの経済学者 ダニエル・コーエンの「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」、経済史的資料から現代社会と近未来を読み解く、主義主張からではなく、統計的事実から出発して物事を考えることを学べる。

第6回 校長BLOG

第6回 校長BLOG

あけましておめでとう。今年が皆さんにとって良い年であるように。

 

さて、私は、正月に東京国立市の谷保天満宮に初詣に行った。天満宮は菅原道真を祀った神社で、菅原道真と言えば学問の神様である。3年生諸君の入試での実力発揮を願ってきた。

 

さて、3年生の中には、来るべき大学入試への不安を感じる人も多いことだろう。今日は不安について話そう。

一般に、不安とは定かでないものを恐れることであり、未来の不確定なことが対象となる。不安は、対象が対応可能なものと対応困難なものに分かれる。

①自分は、三角関数が苦手なので数学の試験が不安だというケース。

これは、対象が明確な不安であり対応が可能である。対象、この場合は三角関数をしっかり勉強すればよい。

②試験で何かトラブルがあったらどうしよう不安だというケース。

これは、漠然とした不安であり、対象が対応困難な例である。しかし、影響は明確で、往々にして不安がって勉強が進まないということになる。

 

ところで、一般的に、「こと」が進まない失敗のパターンとして次のようなことが考えられる。石橋を渡ろうとして、不安に駆られ、石橋を叩いて試す。叩いても叩いても納得しない。ついには石橋を叩き壊してしまう。そこで、ああ、やはり壊れたと納得する。ある目的に対し、不安を次々に見つけ出し不安を増幅する。マイナス面を言い立てて実行しない。当然物事は進まない。進まないので、やはり不可能だったと納得する。

 

こうなってはならない。漠然とした不安への対応法として、私が勧めるのは次の通り。

「対応可能な目前の課題解決に集中し、やるだけのことをやったら後は天に任せる。」

単純にして、当たり前の対応である。しかし、なかなか実行できないことでもある。

実行のポイントは三つ。

1 対応可能な不安と対応困難な不安にわける。

2 対応可能な不安に取り組む。

対応可能な不安は取り組むべき課題であり、全力でやるだけのことはやる。

3 後は天に任せること。

神頼みであり他力本願である。しかし、これが重要である。やるべきことをやっても幾分かの不確定性は必ず残る。その時に、不安を募らせるとかえって失敗の確率が高まる。キリストでもアッラーでもブッタでも八百万の神々でもはたまた「自分の悪運」でも、信じて後は任せるとうまくいく可能性が大である。

結論  堅実で勤勉な楽天主義を凌駕する不安はない

 

今月の一冊

バートランド・ラッセル 幸福論 岩波文庫

著者は、数学者であり、哲学者、主著はホワイトヘッドとの共著で「プリンキピア・マテマティカ(数学原理)」。「相対性理論が発表されて数年間、それを真に理解しているのは、アインシュタインとラッセルの2人しかいない。」とまで言われた人物である。

この本で、幸福になるためには、物事を論理的・科学的に考え、自分自身ではなく周囲の世界に目を向け、イノベーティブに生きること、できないことに固執せず、自分のなすべきことを着々となすことこそが大事だと説く。

皆さんは、「自分探しの旅」で、彷徨い続けることなどないように。

第5回 校長BLOG

第5回 校長BLOG

変化(グローバル化?)と揺り戻し(アンシャンレジーム)または大山鳴動して鼠一匹

再度言及する。英語民間試験(4技能)の導入延期に続き、数学と国語の記述式問題導入も見送りが決まった。思考力、判断力、表現力、重視への方向ではあるが、「形式的」な改革はほとんどなくなった。現状では、2年生はもちろん、1年生も同様のようだ。

本校の多くの生徒は、基礎基本をしっかり身に着けた上での迅速な処理力(共通テスト)と、しっかり考えて記述する力(個別試験)の両方が必要、即ち現状とあまり変わりない。3年生は、万が一浪人したらどうしようかと気にしていたかもしれない。2年生はまさに渦中の学年だったので、その心配はひとしおだったことだろう。

しかし、英語において、「書く」ことと「話す」ことも重要であり、国際社会で活躍するためには必須であることは変わらない。同様に、思考力、判断力、表現力とその具現化したものとしての記述力が社会において増々必要となっていることも変わらない。どちらも改革が必要なことであったが、その方法(戦術)に些か問題があったということだろう。大学受験という目先のことだけを考えても、現状でさえ、個別試験対応として英語における「書く」力と該当教科での記述力とは是非とも必要である。努力してきた「変化への対応」の勉強の成果を発揮するのが、共通テストと個別試験の両方か、個別試験のみかの違いであり、生徒の皆さんは、淡々とかつ自信をもって対応すればよい。

高大接続改革の混乱状況に振り回された生徒諸君には、我々大人の紆余曲折のために迷惑をかけ、大人の一人として、反省し、お詫びする。

ところで、改革と言えば、ここ数年の反グローバル化の世界的な動きがいよいよはっきりしてきた。その象徴的な動きが、ブレグジットとトランプ大統領である。イギリスではジョンソン首相の保守党が大勝し、もうブレグジットに歯止めはかからない。そもそも保守党と労働党との差異は、市場重視(保守党の小さな政府)か分配重視(労働党の大きな政府)かであったはずなのに、今回の選挙では対立軸が変化して、労働党のグローバル化(公平な競争の重視)か保守党の反グローバル化(既得権重視)かということになり、労働党支持だった労働者がグローバルな競争を嫌い保守党支持となったというふうに私は考える。トランプ大統領も、「自分の国が最優先」という発想なので、就任当初は共和党穏健派やメディアも批判的であり、長くはもたないと言われていた。しかし、今では少なくとも表面上は共和党が党を挙げて全面的に支持しているし、アメリカ国民の半数近くが彼を支持している。地球規模の温暖化対策を考えるより、明日の私の仕事を重視するということだろう。

前にも言ったが、まさに「大衆の反逆」の時代である。わずか5、6年前にはグローバル化の波が停滞するなど考えられなかったのがこの状況である。日本とその周りの環境も例外ではない。

このような状況下で、我々一般人がするべきことは、冷静に情報収集をして、しっかりと時代と社会を読み解く力の育成を図り、自分の日々の責務を果たすことである。こんな時こそ、「職業としての学問」、「学問のすすめ」の実践をすべき時である。

今月の1冊、加藤陽子著、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」、新潮文庫。東京大学の日本近現代史専攻の学者が、神奈川県の「栄光学園」の生徒に5日間にわたって、日清戦争から太平洋戦争までを語った講義をもとに作られた本である。昨年度、君たちへの特別講義をもとに池上彰先生が東南アジアについての本を書かれたのと同様の成り立ちだ。特に客観的・合理的にはやるべきではなかった太平洋戦争に何故突入したのか、単に戦争はいけないことだからやるべきではない(この考えが最も大切であることを認めつつも)ということでは終わらない議論がスリリングに展開する。理系の諸君にこそ読んでほしい本である。